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朝潮(あさしお / あさしほ)

朝潮(あさしお / あさしほ)は、かつて大日本帝国海軍に所属した駆逐艦で、朝潮型駆逐艦の1番艦である。この名を持つ日本海軍の艦船としては2隻目。

佐世保海軍工廠で1935年(昭和10年)9月に起工し、1937年(昭和12年)8月に竣工した。第二次軍備補充計画(マル2計画)では改白露型を14隻建造の予定であったが、ロンドン海軍軍縮条約脱退もあり4隻で建造を打ち切り、残りの10隻は設計を改め朝潮型として建造した。

当初、佐世保鎮守府籍に入った。1937年11月から12月にかけて中支方面で活動し、その帰投後の検査でタービン翼の破損が発見され、同型艦「大潮」「満潮」「荒潮」とともに佐世保工廠で改造工事を実施した(臨機調事件)。1939年11月1日、横須賀鎮守府へ転籍し第8駆逐隊に編入、15日に第2艦隊第2水雷戦隊に編入され、以後中国方面で活動した。

太平洋戦争開戦時には、同型艦「大潮」「満潮」「荒潮」と第8駆逐隊に属し、マレー第一次上陸作戦、リンガエン湾上陸作戦を支援。1942年(昭和17年)1月よりアンボン、マカッサル攻略作戦、バリ島沖海戦、ジャワ島攻略作戦に参加した。4月10日、第2艦隊第4水雷戦隊に編入、コレヒドール攻略作戦を支援した。6月のミッドウェー海戦では、攻略部隊支援隊となり第7戦隊の護衛に従事、「三隈」の乗員を救助するも損傷を受け、7月まで佐世保で修理を受け、7月14日、横須賀鎮守府警備駆逐艦となった。10月20日、第8艦隊に編入されラバウルへ移動。11月1日からガダルカナル島輸送作戦に3回従事。11月の第三次ソロモン海戦に参加した後、ブナ増援作戦、フィンシュ攻略作戦に従事した。

1943年(昭和18年)2月、ラエ輸送作戦に従事。3月3日、ラエ輸送中にビスマルク海海戦が起こる。クレチン岬南東でアメリカ、オーストラリア軍機の空襲を受けた輸送部隊は敵機の反跳爆撃に対し為す術もなく次々に被弾、沈没していった。「朝潮」は第八駆逐隊旗艦として参戦していたが初回、第2回目の空襲を無事やり過ごして僚艦の救助に当たっていたが、再度敵機来襲の警報が入り、木村昌福司令官が出した撤退命令を振り切って特務艦「野島」、僚艦「荒潮」の救助に単艦で駆けつける。「荒潮」、「野島」の生存者を救助した直後、敵機が来襲。付近にいた動いている日本軍艦は「朝潮」しかいなかったため敵機の攻撃は集中し二回に渡り約40機の攻撃を受け航行不能となってしまう。この戦闘で吉井艦長、救助していた「荒潮」艦長の久保木英雄中佐が戦死した。さらに沈没時に駆逐隊司令佐藤康夫大佐が艦と運命を共にした。結局この戦闘で救助者も含め299名が戦死。1943年4月1日除籍。

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2008年12月08日 10:42に投稿されたエントリーのページです。

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